嫌々だった農作業が、やがて地域を受け継ぐ術になった。親子で営む「奥野ファーム」の歩みとこれから。

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文=奥野 和樹・竜成

安心・安全な野菜たちを食卓にお届けします「奥野ファーム」の父のほうです。

さて何を書こうかな。生い立ちかな。御所に生まれて御所で育ち、御所で死んでいく(笑)。 
昭和45年、御所市西佐味という御所の中でも山間部、坂道ばかりのド田舎で生まれた。

保育所、小学校は歩いて10分のところにあって、同級生は10人かな。

毎日木造校舎の小学校のグラウンドで、定員割れの野球やサッカーをして、山に秘密基地を作って探検して、田植えをした田んぼで遊んで怒られて。少ない同級生で勉強や運動を競い合い、今思えばのんびりした小学生生活だったな。

中学校はバス通学。急に1クラス40人になって、小学校で威張っていた田舎者は40人を前に、一瞬にしてシュンたろうに(笑)。 だけど、悪い奴、天才な奴、かわいい子、いろんな友達ができて、ちょっと世間を知ったかな。

高校は御所市内の高校へ。県内から集まってきたいろんな奴に圧倒された(笑)。ド田舎の地から御所の平坦部に。都会へ都会へと世間を見ていく学生生活でした。

うちの家では父親が酪農業を営んでいたのですが、後を継ぐ可能性は数パーセント。ちょうどその頃に消防士の採用試験があり、採用され就職。結婚し、この機会にコンビニもない、坂道ばかりで自転車に乗っても大変な、最寄りの電車駅もない、この不便な場所を離れようかどうしようかと迷っていました。

子どももできて、保育所の入園式に行ったら、なんと同級生が4人。またまた都会へ行こうかと考えました。子どもの人数が少ないので学校の役員を持つことに。その頃、地元の保育所と小学校が廃校となり、隣の学校と統合する話に。

なぜか「この学校をなくさないで欲しい」と、役員会に再三参加。この時は、自分の母校がなくなること、この地が寂れること、子どもがいなくなることを思いながら。しかし残念な結果となりました。

故郷がなくなっていくのが寂しくなり、家を建て、この地に住む決断をしました。子どもも2人となり、4人家族の一般的な生活が始まりました。

実家は酪農業を営む傍ら兼業で米作をしていました。休みの日には親に言われるがまま仕方なく農作業(笑)。嫌々だったので楽しくもなく(笑)。農業には全く興味もなく、避けたいのでわざわざ用事を作ってボイコット。自治会の行事、共同作業、自治会の役員全て仕方なく渋々参加。若い人はおらず年寄りだらけ。

そんな中、子どもの皮膚の炎症(アトピー)が気になるようになり、病院に行っても塗り薬を渡されるだけ。何かできることがないか調べると、食べものによる影響があるとのこと。

うちには田んぼがある! そうだ! 農業をしよう。

インターネットのない時代、何をしたら良いか全くわからず、親や近所の人、農家の人、誰かれなしに聞いてまわると、いつの間にか近所の人や農家の人と頻繁に会話するようになった。

言われるがまま、いろいろなことを試し、経験する大切さを教えてもらった。作物ができること、自分でつくる野菜のおいしさ、その作物が売れること。農業がどんどん楽しくなってきた。

近所の人と会話することにより、自治会の行事、とんど、秋祭りなどの伝統行事に参加することになってきた。段々とこれらに参加することが嫌々ではなく、この地を受け継いでいく使命のように思えてきた。

農業のほうも益々楽しくなり、自分でビニールハウスを建てる、建てる、建てる。

いつしか、子どもたちも社会人に。これをきっかけに専業農家になって、年々増えてきている耕作放棄地をなくすために「株式会社奥野ファーム大和」を設立。この地を守っていこうと決心しました。と、その頃、長男が仕事から帰ってきて一言。

俺、仕事辞めて農業するわ!!

ビックリ仰天! さあ、息子よ。どうする? ここからはそんな息子がお送りします(笑)。この親子二人が同時に記事を書くというのは、なかなか珍しいのではないでしょうか。

僕は以前、自動車整備士として勤務していました。車がとても好きで、好きなことを仕事にできるのは良いことだと思い就職したものの、いざやってみると、人間関係や環境にうまく馴染むことができませんでした。

でも当時の上司から「とりあえず三年は勤務してから馴れていくものだ」と教えられていたので、なんとか仕事を続けていたのですが、二年半が過ぎた頃、やっぱり趣味と仕事は一緒にするのは合わないと思い、転職を考えるようになりました。

とは言ったものの、特にやりたいことはないし、今と給料が変わらない仕事はないかと考えていたとき、ふと父が「農業はやり方次第で儲けられる!」と言ってきたのです。安直な考えで、僕は「盛大に儲けて自分の趣味を充実させよう!」と思いました。これが農業の仕事をしようと思ったきっかけでした。

ただ、自分は長男で、いずれはこの仕事を継ぐタイミングがやってくるだろうと頭の片隅では考えていました。父は「自分ができなくなったら土地を返して売ったらいい」と言っていましたが、僕はなんやかんや地元が居心地がよいので、ここから離れようという考えはあまりありません。

であれば農業はせなあかんなと思い、どうせするなら早めに始めて技術も身につけておけば後々楽できるのではと考え、父と一緒に農業をしようと思いました。

この西佐味周辺は交通の便が良くなく、車がないと生活できないところにはありますが、少し標高が高いので気温がそこまで高くなく、夏でも朝晩は比較的過ごしやすいのが良いところですかね(笑)。景色もいいですよ!

めちゃくちゃ雪が積もるときもあります。御所でこんなに雪が積もるところは少ないのではないでしょうか。雪遊びし放題ですよ。

虹もこんなに綺麗に見ることができます。

街灯が少ないので、冬の夜空は一際綺麗です。とにかく景色は本当に美しいです。こんな景色を守っていきたいと思ったのも、地元で農業をしようと決めた理由の一つです。

拙い文章でしたが、こんなところでしょうか。まだまだ半人前ではありますが、これからも農業を通じて地元を活気づけられるようにがんばりたいと思います。そして僕たち若い世代が住みたいと思う場所にしていければいいなと切に願っています。

Okuno Kazuki & Ryusei

寄稿者の写真

(右)和樹|御所市生まれ。ずっと御所市育ち。消防士を早期退職し農業の道へ。その後「株式会社奥野ファーム大和」を設立。中山間の農業を衰退させたくない、荒れ果てて行く地元を見たくない、若い後継者を増やしたい、山間部の綺麗な空気と水を使っておいしい野菜やお米を育て地元を守って行きたいという思いで農業を続けている。(左)竜成|御所市生まれ。奥野ファーム大和取締役。自動車整備士を経て「タキイ研究農場付属園芸専門学校」にて農業の基礎知識を学び、2020年親元就農で農業を始め、日々奮闘中。