地元である葛の地で、昔ながらの手作りで。掘子さんと共に、吉野本葛を世界に誇る名産に。

  • 事業者

文=井ノ上 昇吾(井上天極堂)

私の生家はとても珍しい仕事をしています。今の日本でこの仕事をしているのは、奈良に4社、福岡に2社、鹿児島に1社の計7社しかありません。

会社がある御所市は奈良県の中心、奈良盆地の南に位置しています。葛城山・金剛山が西に連なり、古代の豪族・巨勢(こせ)氏の本拠地でもある歴史と神話の故郷です。

私は、そんな御所市の東端にある葛(くず)という地域で生まれました。地名が表す通り、植物の葛がよく採れたこの地域で、吉野本葛を販売する「葛屋」をしています。

そもそも吉野本葛て何やねん?
昔おばあちゃんが風邪をひいた時に作ってくれたような気がするけど…

そんな方がほとんどかもしれません。

吉野本葛とは、秋の七草のひとつである葛の根っこ(寒根カズラ、葛根)を12月から3月までの間に掘りとり、潰して澱粉を揉み出して、冬の冷たい風で90日ほど乾燥させたものの。乾物に分類され、古来より和食・精進料理・和菓子などの原料として重宝されてきました。

葛根は古来より生薬の主原料とされ、発汗、解熱、鎮痙作用があると言われています。風邪薬として有名な「葛根湯」はご存知の方も多いかもしれません。また、葛根にはイソフラボンの一種が微量成分として含まれており、血中コレステロールの低下に役立つほか、骨粗しょう症や更年期障害などに有効とも言われています。

物心ついた頃から家中に葛があって、たくさんの人が出入りをしていました。近鉄線の駅名は「葛駅」、郵便局は「葛郵便局」、学校は「葛小学中学校」、キリスト教の教会も「葛カトリック教会」と名乗り、市町村合併前に遡れば、村名も南葛城郡大字葛村でした。

私が生まれ育った家では、掘子さんが冬から春にかけて山で葛の根を掘り、各家で葛根を潰し、粗葛にしたものを秤で量って買い入れ、吉野晒し(何度も水にさらして精製し、寒風でじっくり乾燥させる方法)で吉野本葛を作るのです。

生家の西向きの玄関を入ると土間が続き、右側に帳場があって、向かいに土壁で作った竈門さんが3つ並んでいて、いつも薪がくべられ、大きな釜から湯気が昇っていました。上がりがまちには日本酒と湯呑みが置いてあり、粗葛を売りにきた掘子さんたちが腹ごしらえをしていたものでした。

帳場にはいつもおばあさんが座っていて、粗葛を売りに来た掘子さんたちにお金を払い、「ご飯食べていきや、お酒も飲んでや!」と声を掛けていました。

台所を抜けると中庭があって、その向こうには吉野晒しの工場がありました。工場と言っても半切りの桶が床一面に、多分100個以上並べただけのもので、葛職人さんがその半切り桶を器用に回しながら吉野葛を製造していたように思います。

工場の2階には乾燥室がありました。毎朝職人さんが半切りの桶の上水を、底に沈澱した葛を少しも逃さないようにクルクル回しながら捨てて、冷たく澄んだ地下水を注ぎ、撹拌棒でグルグル混ぜるのです。そして白く沈澱した葛をまたまた溶かして粗葛を洗い、晒しを数回繰り返します。

葛は白くて固く、口に入れるとスッと溶けて、ほんのり甘さと渋さを感じます。これを3ヶ月以上かけて乾燥すると吉野本葛のできあがり。それを木箱に入れて焼印をジュウジュウ押せば、天極印の吉野本葛の完成です。

衛生面で少し機械化していますが、小さい頃から見てきた方法で、お米を研ぐように、澱粉の粒が壊れないように、大事な微量成分が豊富に含まれるように、今でも丁寧に手作りしています。

こんな吉野本葛を、私は奈良の誇れる名産に、ひいては日本の食のアイデンティティにしたいと思っています。

御所の地は、里山に囲まれ、西山、東山、南山があり、北部には吉野本葛を日本中に広めたと言われる山岳密教の開祖・役行者の生誕地「吉祥草寺」があります。

毎年1月に行われる吉祥草寺の大トンド。火の粉を浴びると一年の厄災を防ぐと言われる。

また、天保の大飢饉の時には、江戸幕府が諸国に葛の製造を広めてたくさんの庶民の命を救ったという伝承もあります。

葛粉の作り方が書かれた「製葛録」(江戸時代・大倉永常著)

私の生家もそのくらいの頃から葛の製造を始めたのだと思われます。もうひとつ、生家について興味深いのは、葛以外の山の産物、漆、萩の木、藤のツル、柴栗や菱の実、桜の皮や葉や花、笹や柿の葉などを生業にしていたことです。

柿の葉は柿の葉寿司に

柏の葉は柏餅に

先祖は山の民の長をしていたのかもしれません。小さい頃は「お前のおじいさんは日本中の山を巡り、山林物産を集めた人で、東京浅草の乾物問屋の「萬籐」さんは東北の山で出会ってから100年以上の取引先だ」と聞かされて育ちました。

今もお世話になる浅草・萬藤さん

そんな吉野本葛をどうやって地元の名産にできるか? 常に模索の日々ですが、せめて奈良に住んでいる人たちだけでも知ってもらいたいと思っています。

先ずはおいしい葛湯、おいしい葛餅。

そんなことを思って5代目として家業を引継ぎ35年目になろうとしています。葛の栽培、葛研究所もまだスタートしたばかり。まだまだ道途中で、地元御所、奈良の誇れる名産にはほど遠いのですが、次の世代が新しい吉野本葛の可能性を見つけて、いつか奈良の名産として誇れるようにしてくれると思っています。

葛を使った新たなレシピ開発にも取り組んでいます(考案:料理研究家・田中愛子さん)

1300年以上続くこの日本、万葉の時代から続く国柄、日本食という世界に誇れる食の原材料としての吉野本葛を、この葛という地で作れること、そして粗葛を提供してくれる掘子さんや会社さんには本当に感謝しています。

共に御所、奈良、日本の誇れる名産となるよう、これからもよろしくお願い申し上げます。

Inoue Shogo

寄稿者の写真

1989年に家業を継ぎ、「井上天極堂」の5代目として代表取締役社長に就任。吉野晒の製法はそのままに、時代に合わせた変革を進め、品質管理課や冷凍葛切り製造ラインを新設。天極堂奈良本店などアンテナショップの開店、葛由来の乳酸菌の研究など、葛の魅力の発掘・発信にも取り組んでいる。また、山のネットワークを活かし、御所市内でも農家さんと協力して山芋やよもぎの栽培・加工にも注力。今後は、葛事業を葛地区の活性化にもつなげていきたいと考えている。