嫌いな仕事だから成長できた。人気のブランド肉「倭鴨(やまとがも)」を手がける鴨重フーズの軌跡。

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文=棚田徳重(鴨重フーズ)

私は、葛城山の麓で合鴨飼育販売業を営む「鴨重フーズ」という会社を経営しています。合鴨はすべて自社農場で飼育。他店では味わえない鴨肉の提供を目指して日々努力し、できるだけ新鮮な状態で産地直送しています。

私が小学生低学年の時に、両親が合鴨の飼育を始めました。

当時、祖父母がみかん農園を営んでおり、両親は全く別の仕事をしていました。しかし、祖父母が高齢のため、みかん園の管理が難しくなり、その役が両親に回ってきたのです。合鴨飼育のスタートは、みかん園の下草管理用としてでした。

両親は、もともと営んでいた稼業をしながら合鴨の飼育をしていたのですが、みかん農園を開拓して飼育舎を建てたり、農耕用の牛舎を合鴨の飼育舎に活用したりしながら、徐々に飼育羽数を増やし、やがて専業で合鴨飼育をするようになりました。

小学生だった私は、飼育舎を建てる手伝いをしたり、合鴨に餌をあげたり、飼育舎の掃除をしたり。何をするのも楽しくて、喜んで手伝っていました。

そんな私の夢は「合鴨を飼育する仕事をすること」でした。そして今の私は、当時の夢だった仕事をしています。これまで一度も他の職に就こうと思ったことはありませんでした。

もちろん、小学生の時の思いのままこの仕事についたわけではありません。大人になる過程でアルバイトなども経験した上で私なりに考え、「他人の会社に勤めて仕事をしていくのは無理だな」という結論に至り、また、毎日休まず一生懸命働いている親の助けになりたかったというのもあり、他に就職することなく、この仕事をすることに決めたわけです。

そもそも、当時鴨肉は今ほど流通しておらず、食肉としての知名度も低く、簡単に売れるものでありませんでした。特に鴨肉は「臭くてまずい」というのがイメージが一般に広まっていて、そう簡単に売れるものではありませんでした。両親が仕事を始めた頃はおそらく収入も安定せず、お金にもかなり苦労しただろうと思います。

私が大学を出て、正式にこの仕事に就いたときも、生活に困るほどではありませんでしたが収入自体はかなり低い状態でした。同じように大学を出た友人の初任給と、両親と私と3人朝から晩まで働いて得る収入が同じぐらいだったと思います。

当時の私は、このまま両親が高齢になり私一人で仕事をしないといけなくなったときのことを考えると不安でした。内容から考えて、とても一人でできる仕事ではなく、かといって他人を雇える収入もありません。両親が高齢になるどころか、誰か一人でも病気になればたちまち仕事が捌けなくなるのは明白でした。

何とか収入を上げなくてはいけない、収入を上げて最低二人雇用できるようにならないとこの仕事は続けられない。この時はかなり焦っていたと思います。

ネット通販を始めたり、販売形態を変えてみたり、販売先を変えてみたり、思いつくことをいろいろ試しているうちに、徐々に収入は上がってきて、ようやくアルバイトで人を一人雇えるようになったのですが、それでもまだまだ思うようにいかない日々が続きました。

そんなある日、「飲食店を始めてみませんか?」というお誘いを受け、アンテナショップとして奈良市で飲食店を始めるのですが、このときの経験が、私の意識を大きく変えるきっかけとなりました。

「食材を卸す立場」から「仕入れる立場」になって、これまでと逆の経験させてもらって、飲食店がどういった食材を求めているのかがよく理解できるようになったのです。食材はおいしいだけではダメなのだと気づかされました。おいしいのは当たり前で、その食材を使って利益が出せるかどうかが飲食店にとっては重要なことなのだと。

生産者はどうしても、その商材の「おいしさ」だけを追求しすぎて、とにかく「おいしいものを作ろう」「おいしいものを作れば売れる」と思っているのですが、それだけでは足りないないのです。その食材を使ってしっかり利益を出せないと買ってもらえない。では、どうすればいいか?

私の結論は、その食材のブランド力を上げることでした。例えば牛肉で言うと、神戸牛と国産和牛を比べると、味にそれほど違いがなくても、神戸牛のほうが価格を高く設定することができます。それは仕入れ値の差以上に、売値を上げることができるのです。

これは神戸牛のブランド力が高いからできることです。ブランド力を上げると、それを使う飲食店の利益も上げることができます。だから飲食店はブランド力のある食材を使うようになる。ブランド化されていない、単においしいというだけの食材は、商材としての魅力が足りないのです。

このことに気づいてから、自社の利益はともかく、まずブランド力を高めて取引先に儲けてもらおうと考えました。これが「倭鴨(やまとがも)」という自社ブランドができたきっかけです。

ブランドをつくるのは簡単です、商標登録すれば自社ブランドはでき上がります。ですが、ブランド力を高めていくのはかなり大変です。

商標登録した時点では、例えるなら赤ちゃんに名前が付いただけの状態で、誰も存在を知りません。その名前を広めていくことがブランド化における最重要テーマであり、商標登録はその第一歩にすぎません。では、どのようにブランド力を高めていったか、という話をしたいところなのですが、始めると長くなってしまいそうなので割愛します。

「倭鴨」は徐々にブランド力を上げていき、徐々に高級店で取り扱われるようになり、目標としていた利益を出せるようになってきました。

自分が儲けたければまず他人を儲けさせることを考える。
そうすれば回り回って自分が儲かるようになる。

この真理に気づけたことが、今の我が社の成長の基礎になっていると思います。

この仕事に就いて34年になりますが、「この仕事が好きですか?」と問われると、「好きではない」と答えます。ですが、朝から晩まで全力で仕事をしています。それは、仕事は生活する上で、必要で重要だからです。

好きでもない仕事なので、できるだけ作業量を減らして、なおかつ収入を上げる方法を試行錯誤してきました。仕事の作業自体が好きだったら、そんな考えには至らなかったと思います。作業自体が楽しいと感じたなら、収入を得るという部分が疎かになるかもしれない。私の場合は、嫌いな仕事をしているからこそ、収入にこだわって、その結果会社を成長させることができたのだと思っています。

この好きでもない仕事を続けている理由が、収入を得ること以外にもう一つあります。合鴨飼育販売という特殊な仕事は、私にとってコミュニケーションツールの一つになっているのです。

例えば、何かの会合で初めて出会った人に自己紹介をすると、必ず興味を持ってもらえます。仕事内容の説明や、鴨肉の好き嫌いの話から始まり、その後もいろいろな話に発展していきます。合鴨飼育販売という仕事を初めて耳にする人は、興味津々で質問してきてくれますし、またすぐに名前を覚えてもらえます。

この仕事を選んでよかったと思える、数少ない理由の一つです。

Tanada Tokushige

寄稿者の写真

株式会社鴨重フーズ代表。大学を卒業後、葛城山の麓で両親が始めた合鴨飼育販売業を継業。35年にわたる経営で、自社農場で生産する「倭鴨(やまとがも)」をブランド肉として育て上げる。飼育環境、飼料、飼育日数にこだわり、最高の合鴨肉を目指して事業を行っている。