町、家、人が紡ぐ、記憶の物語

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文=中尾広道(映像作家)

かねてより望んでいた奈良への移住先を御所市に決めたのは、2021年のことでした。

「知恵」や「こころ」に溢れた、歴史の重みと軽やかな粋を感じられる美しい住居。素朴で穏やかな温もりが漂う町の風情。家の前から望める雄大な葛城山。大阪まで通勤可能な立地。自宅から駅、病院、スーパー、子どもたちの学校まで徒歩圏内であること。などなど、転居の理由を挙げれば色々ありますが、決め手となったのは「人」でした。

いくら環境に恵まれた美しい町や住居に出会えたとしても、この町の人たちと共に暮らしたいという思いがなければ、今の生活はなかっただろうと確信しています。

転居に至るまでの様々な不安をひとつずつ、一緒に解消してくださった空き家コンシェルジュの辻本さん。この町の魅力をおおらかな語り口で聞かせてくれた隣人の梅本さん。転校や転園に関して、親身にご対応いただいた市役所、幼児園、小学校、学童保育の方々。物件の改修工事などで大いにお世話になった地元工務店の有家さん。

様々な局面で支えてくださった方々との交流の一つ一つが、この町や人に対する敬意や愛情の培養となっていたのだなと、つくづく感じています。

いま住んでいる家は、大正元年に建てられた住居部分と大正5年に建てられた蔵から成ります。以前の所有者であり、隣人である梅本さんからは、この家や町にまつわる話を色々と伺いました。隣接する梅本さんのお宅は、江戸時代後期から昭和17年まで続いた歴史ある呉服店でした。当家も元は梅本家の一部として建造されましたが、現在は塀や壁で仕切られて独立しています。

こちらが梅本さん 

この家は70年ほど前に一旦、梅本家の手を離れ、しばらく別のご家族が住んでおられましたが、紆余曲折を経て8年前に再び梅本家に戻ってきたそうです。築110年でありながら、度重なる増改築や補修をもって大切に維持されてきたことは自明でした。

しかし、床が一部抜けそうだったり、壁が剥がれていたり、ある程度の改修工事は必要でした。これから幾度となく直面するであろう改修の練習も兼ねて、まずは、可能な限り自ら手入れすることにしました。着工は2021年11月。竣工目標を家族4人で暮らし始める2022年4月に定めました。

付け焼き刃の知識と持ち前の気合だけではどうにもならない木工事は知り合いの職人さんに、設備・電気工事、資材調達などは地元の「有家住建」さんにお願いしました。

有家さんは仕事の枠を超えてよく助けてくださいました。下手をすれば大怪我につながるような家の駆体に関わる作業では、手順から注意点まで丁寧にご教授いただきましたし、必要な資材があれば即座に手配して自ら届けてくださったり、とにかく知恵も労力も出し惜しみすることなく支えてくださいました。

改修作業は週3~5日ほど泊まり込みで行ないましたが、布団も暖房もなくペラペラの寝袋と湯たんぽでしのいでいました。そんな生活を見かねた有家さんが、ある日、石油ストーブとポリタンク満タンの燃料を持ってきてくれたこともありました。

また、時折様子を見にきてくれる梅本さんとは散歩をしたり、他愛のない談話に花が咲くこともしばしば。寒さと疲労でくじけそうな精神を維持できたのは、そんなご親切や、人の暖かさに触れる機会が多かったからだと思います。

梅本さんのお話の中で興味を持ったことのひとつが、この家に響いていた音楽の話です。70年ほど前に近所の青年が蔵でギターの練習をされていたそうです。ご近所に配慮した青年の演奏を、蔵の防音壁は優しく受け止めてくれたのでしょうか。

そして以前こちらに住んでおられた方は学校の音楽教師で、この家でピアノ教室をされていたこともあるそうです。その息子さんは有名なヴァイオリニストだそうで、そんな音楽一家が置いていかれたオーディオラックがそのまま(ステレオ、レコード、CD、楽譜など丸ごと)残っていたのも幸せでした。

残念ながらステレオの状態はあまり良くなく、電源は入るものの、ラジオは不通。カセットプレイヤーとレコードプレイヤーは再生不可能。アンプは強いガリノイズが発生していました。

なんとか復旧できないものかと、いくつか配線を交換すると、まずラジオが鳴りました。僕がこの家で初めて聴いた音楽は、不意に流れてきたTOM★CATの『ふられ気分でRock’n Roll 』。特に思い入れのある曲ではないのに、膝から崩れ落ちるほど感動してしまいました。スピーカーからとめどなく春が溢れ出てくるような、暖かさと明るさに瞬時に包まれたのです。

「音楽で暖をとる」ことに味をしめた僕は、ステレオの復旧に腐心しました。カセットプレイヤーは一部分解してクリーニングを試みるも、ウンともスンとも言わず徒労に終わりましたが、レコードプレイヤーはとりあえず回転するので、カートリッジの部品を購入し、これまた付け焼き刃の知識とデタラメな技術で復旧。奇跡的に再生可能となったものの、喜びも束の間、ピッチが妙に狂っており、少しのろまな石原裕次郎がなんとも不気味に響いていました。

気を取り直して、ピッチの狂いがさほど気にならないクラシック、ジャズ、タンゴを片っ端から聴きながら改修作業を続けます。先人の残してくれた豊富な音楽ライブラリーに改めて感謝。美しい声楽とジャケットデザインに惹かれて愛聴していたレコードは、よく見るとイタリアの古いレクイエムでした。

遠い国の誰かの魂を鎮めるための音楽を聴きながら、剥がれ落ちた壁を漆喰で塗りこめていくのも乙なものだなと、凍えながらも体の内側に暖かいものを感じました。

そんな、必要以上に脱線を繰り返しながらの改修工事にかろうじて格好のついた頃、残りの家族も越してきて、現在に至ります。「めでたし、めでたし」と言いたいところですが、実は現在もあちこち直しながらの“サグラダファミリア状態”で暮らしています。一軒の古民家改修を通して得た、気づきや学びは計り知れません。

この家で響いていた様々な音楽に改めて想いを馳せます。ギター、ピアノ、ヴァイオリン、ステレオから鳴る古今東西の音楽。今では、うちの子どもたちもその重奏にさらなる音楽を重ねていて、宇宙から見ればこれもまたアンサンブルではないかと、そこに加わることの妙味を堪能しています。

最近は梅本さん以外にも、この地域で長く暮らしておられる方に色々なお話を伺っています。前述のギター青年は、現在90歳になられていましたがとてもお元気で、当時の音楽活動の様子などを語ってくださいました。かつてピアノ教室に3人のお子さんを通わされていた方からは、ありし日の町の様子を伺いました。町の躍動は誰かの些細な日常の集積によってもたらされるのだなと、しみじみと感じています。

自分の知らない町の姿が「親密さ」を伴い立ち現れてくるのは興味深いことですが、一抹の寂しさや危機感も覚えます。お話を伺った皆様から時折、近年、町の景観が寂しくなったとも伺いました。僕はこの町が好きで移ってきましたので、この町の感情を絶やさず後世に繋げていきたいと思っています。

町民の、歴史に残らない歴史の話からは、町の躍動や感情が顕在化されます。それは単なる思い出話にとどまらず、町を未来に残していくための財産や誇りになるのではないでしょうか。現在はこの町を構成する一要素としての立場から、何かしら寄与できればなと、梅本さんとお酒を飲み交わしながらぼんやり考えています。

Nakao Hiromichi

寄稿者の写真

映像作家。1979年生まれ、大阪市住吉区出身。2022年より御所在住。2013年に友人の映画撮影を手伝ったことがきっかけで、自身でも映画制作を始める。2015年『船』ぴあフィルムフェスティバル入選。2017年『風船』ぴあフィルムフェスティバル入選、オーバーハウゼン国際短編映画祭正式出品(ドイツ)。2019年『おばけ』ぴあフィルムフェスティバル グランプリ、フィルマドリッド最優秀賞(スペイン)、ジョンジュ国際映画祭(韓国)正式出品。