お母さん、毎日面白いよ。片上醤油に嫁いだ私の、夫と仲間と歩んだ日々。

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文=片上公美(片上醤油)

私が御所市民になったのは平成9年の秋のこと。3歳の長男と1歳の次男、おなかにいる長女と共に主人の実家・片上醤油の奥さんとしての生活が始まりました。

核家族で育った私にはまあまあの不安もありましたが、主人の「大丈夫」という言葉を信じ、引越し業者のトラックと御所入りしたのです。

予定より遅れて午後に到着、生活用品はそれなりに多く、段ボール箱と家財道具の片づけにくたくた。しかし! ここで私が聞いたのは義母のやさしい声で発した「公美さん、晩ごはん何にする?」という一言。

どういうこと? 私が作るん?

この日から、子育てとごはん作りに追われる毎日がスタート。当時の片上醤油は主人、番頭さんのような立ち位置のベテラン従業員、パートの女性、若い従業員、そして義母という顔ぶれで回っていて、私の仕事はもっぱら家事のみ。それでも、目まぐるしく一日は過ぎてゆく、子どもを寝かせる時間には自分も一緒に寝てしまう毎日でした。

ねえねえ、私、毎日やらなあかんことばっかりで、やりたいことをする時間がないんだけど。

そう主人に訴えたことは覚えているけれど、何と返事してくれたかは忘却の彼方へ。今となっては何をしたかったのかもわからない。翌年2月、長女出産。4月、長男保育所入園。翌々年4月、次男保育所入園。この頃からママ友ができるようになり、御所で家族以外のお付き合いが始まりました。

保育所、小学校、子ども会、スイミング、サッカー。子どもと共に次々と世界は広がり、本音で話せる友達が増え、言いたいことを言える自由を取り戻しました。小学校のPTA活動も少人数なので必ず順番が回ってきますが、これもまた人と仲良くなるきっかけで楽しく、打ち上げで近所のママたちと泥酔して絆を深めたり、従来の決まりを変えてもらったりもしました。

森脇子ども会

中学校のPTAでは、子どもたちが少し荒れていたことがきっかけで役員になって行動し、幾度も学校に行ったりして、子どもたちにメッセージを届けたくて、文化祭でPTAの合唱もしました。

この頃は醤油の仕事もやるようになっていて、お客さんから「味噌づくりのワークショップみたいに醤油もできないかなあ」と相談され、主人と調べたり、相談したりしながら醤油のワークショップを開始。それから10年余り、おかげさまで好評をいただき、どんどん回数が増え、今も続いています。

また、「しあわせの青い鳥シリーズ」という小容量ギフトセットを考え、ちょうど銀行さんの勧めで大阪産業創造館に出展。モニターアンケート、ブラッシュアップの機会もいただき、何よりも主人が「やってみたらいいやん」と後押ししてくれて商品化しました。

プレスリリースの書き方も知り、うまく新聞に記事掲載してもらい、百貨店でも取り扱ってもらったり、(なんと!)厳しい義父が応援してくれて、自分の付き合いの贈答品に使ってくれたりして、「売れるかも~(^o^)」と期待しましたが、あまり成功ではありませんでした。

ただ、そのときに主人について東京へ営業に行ったり、一人で奈良市にある「くるみの木」に営業したりしたことがとてもいい経験になりました。その後、近くの「梅本とうふ店」の女将さんに誘ってもらって、「奈良のうまいもの会」という団体に入れてもらい、定例会に参加してみると、みんな熱くて、女性が一人で起業してカフェをしていたり、野菜の販売をしていたりすることを知り、大いに刺激を受けました。

©2024 一般社団法人奈良のうまいもの会

私も何かしたい、そんな気持ちになりました。東京ビッグサイトの展示会にも行かせてもらったり、新たな活動を企画したりするうちに、いつの間にか会の役員になっていました。

また同時期、御所には「郵便名柄館」が誕生するところでした。これは、役目を終えた旧名柄郵便局を活用して人が集う場所をつくる試みでした。

当時、私の耳にも少し話が届いていましたが、意見交換の場があることも知らず、建物が完成してから市民説明会に誘われたので行ってみると、相当大きなプロジェクトのはずなのに、素人同然の数名が懸命に話をしているのがとても気になりました。

そんなある日、地域活性の面白そうなフォーラムを見つけたので、郵便名柄館の運営を担おうとしている人たちを誘って行くことに。いくつかの事例を聞くうちに自分も参加したくなってきて、帰りに立ち寄ったカフェで「私も仲間に入れてくれませんか」と言ってしまいました。

一般社団法人吐田郷地域ネットのメンバー

そんな活動をする一方で、うちの仕事も後を継いでもらえるほど儲からないし、閉めたらどうなるんだろうと、漠然と思うことがありました。

住んでいる場所を見渡したとき、田んぼをやめるという話もよく耳に入っていたし、高齢化で空き家が増えてくることも予想でき、うちが醤油を作らなくなって子どもたちも帰ってこなかったら、きっと地域の寂れ方も激しくなるはず。

20年後、30年後、葛城一言主神社の見えるこの素敵な場所が荒れてしまうのは寂しすぎる。

自分たちのためだけじゃなくて、地域のためにも片上醤油は続けなあかん、片上醤油の仕事をがんばることと地域のために何かすることは、もしかしたら同じことかも! そう自分なりに納得して、自分のやるべきことが見えたような気になっていました。

休日は郵便名柄館の仕事をしようと思っていたのに、その後、片上醤油での仕事量が増えていき、最近はほとんど協力もできず、決意と行動は比例しません。なんやかやと忙しく働く毎日でした。

令和元年、御所市役所の声掛けで、「金剛葛城山麓地区農泊事業推進協議会(エコリゾート御所郷)」が発足し、活動が始まりました。初めはメンバーも他人行儀で油の回っていない動きでしたが、会議の回を重ねるごとに、それぞれの個性とパワーがぶつかり合い、化学変化を起こし、みるみるうちにエネルギッシュで魅力的な団体となりました。

「御所郷さんろくフェスタ」と名付けたイベントも既に3回を終え、増々パワーアップしています。それぞれのメンバーの才能や行動が素晴らしくて、一緒に活動できることがうれしくてわくわくします。

有り難いことに、片上醤油の売れ行きも少しずつ上がり、増々忙しい毎日です。60歳を超えた主人と私にはなかなかの重労働ですが、来年には息子が帰ってきて後を継いでくれる段取りが整い、がんばりがいがあります。

結婚前、少しのあいだ御所で小学校の教師をしたことがありますが、当時、がんばってもがんばってもしんどくて、落ち込む私に先輩先生が「公美ちゃんはがんばってるけど、もう一歩がんばったらうまく回って楽になるのに、あと一歩が足らんねん」と言ってくれました。それ以来、しんどいときは「あと一歩がんばろう」と思うようになりました。そして、教員だった父は私に「自分でよく考えなさい」と育ててくれました。いつのときも、ずっと周りの人に育ててもらえたことに感謝です。

昔から「何か面白いことないかなぁ」と言う私に、母は「毎日毎日誰も面白いことがあって生きてるわけやない」と言ってましたが、「お母さん、毎日面白いよ」と伝えたいです。

そろそろ体力も気力も衰えてきましたが、あと半歩くらいならがんばれそうです。

Katakami Kumi

寄稿者の写真

1961年、西吉野村(現五條市)生まれ。五條高校卒業後、大谷女子大学で演劇にはまる。大阪の法律事務所で事務の仕事をした後、御所市の小学校教師として4年ほど勤め、1993年に結婚。3人の子育てに奮闘しながら、商品開発やワークショップなどを通じて嫁ぎ先である「片上醤油」を支える日々を送る。山麓地域を盛り上げる団体「エコリゾート御所郷」メンバー。