名柄で陶芸、御所まちで住職。二つの顔をもつ畠中光炎が二つの地域に属して抱いた願い。
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文=畠中 光炎(淨宗寺)
あまり改まって聞かれる機会もなかったので、自分のことを話すのは苦手です。
西御所の真ん中、御堂魚棚町にある淨宗寺(じょうしゅうじ)、通称「西の御堂」の住職として、20年目を迎えております、畠中光炎と申します。
「ごせのね」には、「長柄神社」の項目で名柄区自治会三役として紹介していただき、2度目の登場です。浮立たない思いではありますが、せっかくいただいたお話しですので、私自身のことを書かせていただきます。
出身は京都市山科区で、御所のお寺は祖父の家になります。
京都で高校を卒業した後、「手に職をつけよう」と陶芸の世界に入り、学校で技術を学んだ後、京都や愛知県で「陶芸」にまつわる仕事をずっと続けておりました。いわゆる「窯元」や、大量生産の工場にいたこともあります。土器のガイドをするという仕事で、南米・ペルーの博物館にいたこともありました。
幅はあれど、「陶器」にまつわる仕事をずっとしていたわけですが、そんな中、お寺の住職をしていた祖父が亡くなり、「せめて資格だけでも」という話から、大谷専修学院というところに一年間住み込みで通うこととなり、お坊さんの資格を取得した次第です。
その後も陶芸を続けておりましたが、30歳の折、祖母一人で切り盛りしていた御所のお寺に限界を感じた檀家さんの嘆願をきっかけに、また、私自身の結婚を期に、職人の世界から足を洗い、御所に移り住んだというわけです。
当然、お寺に住むものだと思っておりましたところ、祖母に「同居は嫌なので別に住むところを探してくれ」と言い渡され、檀家さんのご協力のもと探し当てた空き家が、堺屋太一さんのご実家でもある名柄の「池口邸」でした。
「年に2回は帰る本家の維持管理を兼ねる」ことを条件に、名柄に住むことが決まり、そこから御所まちのお寺に通うという、「住職」ではありますが「住んでいない」スタイルの、風変わりな住職が誕生いたしました。
元気ではありましたが、当時80を過ぎていた祖母ですので、そんなに長くは住まないだろうなどと高を括っていた気持ちも正直ありましたが、一昨年亡くなった祖母の享年は101歳と長生きで、そのため名柄区自治会の副区長を任されるほどに、どっぷり名柄で生活することとなったわけです。
お寺の仕事は不規則で、忙しい時は忙しいのですが、空き時間もそれなりにあるもので、せっかくそれまでに使っていた陶芸の道具や窯があるのだからと「陶芸教室」を名柄で始め、地域の方や、口コミで聞いて来てくださった方、遠くは大阪からも陶芸をしに来てくださるようになりました。
また、息子が生まれたことをきっかけにコミュニティの輪が広がり、「奈良・町家の芸術祭はならぁと」や「御所市制60周年イベント」などさまざまな催しにも参加させていただくようになりました。
御所まちにいるときは「お寺さん」ですが、名柄では次第に「陶芸をする人」というイメージが定着していったように感じます。
そして、御所まちと名柄を往復する生活を始めたことで、どちらかだけで生活しているよりもたくさんの方々と出会い、広く「御所」を見れたのではないかと思います。 その上で感じたことは、祭りをはじめそれぞれの地域に素晴らしい風土や景色があるにも関わらず、それぞれの地域が全く交わらないということでした。
地元の人ほど地元を知らないというのはよくある話で、鴨都波神社のススキ提灯献燈行事を見たことがない名柄の人や、東名柄の立山祭を知らない御所まちの人がとても多いことに驚きましたし、人口も年々減少傾向にある御所市において、そういった現状にどうしても発展性を見出せない気持ちでおりました。
また、お寺においても「寺ばなれ」や「墓ばなれ」が囁かれるように、人口の減少に伴い「檀家さん」も減ってくるわけです。 引っ越しをするわけにもいかない立場において、お寺を復興するためには「御所市」を活性化することが一番大事なことなのではないかと考えるようになりました。
山麓地域を中心とした、御所に移住者を増やそうと取り組む「Eco Resort 御所郷」に、陶芸体験を担う役割りとして入れてもらったことが、活動の幅を広げてくれたように感じています。
御所を知ってもらうツアーやイベントを企画したり、大規模マルシェを開催したり、里山保全に向けた取り組みをお手伝いさせてもらったりしていくなかで、郵便名柄館を運営する「吐田郷地域ネット」に入れてもらい、ワークショップや情報発信のための回覧作成をお手伝いさせてもらえるようにもなりました。
御所まちにおいても「御所市消防第1分団」や、「霜月祭実行委員会」などに入れていただき、あちらこちらで活動させていただいております。また、お寺を会場としたヨガ教室やワークショップなども行っております。
「何をしてる人かわからない」などと言われることもありますが、何がしたいかと言うと、「御所市広報」の表紙をめくったところにある「市の動向」欄の市の人口()内を1人であれ「+」にしたいし、御所を多くの方に知っていただき、御所を盛り上げたいのです。
0才から保育所に通うような「預けられる」ことの多い幼少期ではありましたが、そのなかでも「御所のお寺」に行くときが一番楽しみで、御所に来るとどこかワクワクする感覚が今なお染み付いております。
家では禁止されていたプラモデルやおもちゃを買ってもらえるという邪なワクワク感も含まれてはいたものの、私が育った山科とは全然違う家の並びや道の形、不思議な商店や、今では一軒しかなくなってしまいましたが銭湯もたくさんあって、まるで「夢の国」に来たようなワクワクする感覚が御所にはありました。
変わってしまった景色もありますが、その面影は当時のままで、今でも残る古民家や水路、看板や道端の石、名柄においても当時こそは知りませんが、神社の灯籠や大きな木、これはずっと昔からここにこうしてあったんだろうなと思う風土の佇まいになんとも言えない安心感というか、私流に言うと「ワクワク感」が残る町、それが御所というところです。
初めて御所を訪れた方から「懐かしい感じがする」と言われることがあります。その感覚を残していくことが、今後の御所を作っていく上でとても大切なことなのではないかなと思っております。
人がどんどん減っていっては何もかも先細りする一方ですし、変えていかなければならないものもたくさんあります。まだまだ課題はたくさんあって、私自身が何か結果を出したというわけではありませんが、私が何者かと言うと、そんな思いで御所に住んでいる者であります。
畠中 光炎 Hatanaka Koen
1974年生まれ、京都市山科区出身。高校卒業後、陶芸の仕事に従事。2005年、御所に移り住み、真宗大谷派「淨宗寺(じょうしゅうじ)」の住職となる。団塊ジュニアのゴロピカドン世代。血液型A型、好きな色はオレンジ。動物占いは「黒ヒョウ」、MBTI診断は「主人公」、座右の銘は「月並みこそ黄金」。