歴史と文化 History / Culture
天孫が降臨した高天原伝承地
現存する日本最古の歴史書『古事記』には、「高天原(たかまがはら)」という“神々が住む天上界”の存在が描かれ、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、ここから日向(現在の宮崎県)の高千穂へ降臨したことが記されています。金剛山麓には「高天(たかま)」という地名の台地が広がり、高天彦神社も鎮座。参道にそびえる樹齢数百年といわれる杉の巨樹群が、高天原伝承地といわれる所以をさらに後押ししています。
古代豪族の気配を伝える遺跡たち
5世紀、大和政権を統べる大王家と肩を並べるほどの勢力を持っていたといわれる大豪族・葛城氏。その拠点があったことを証明する遺構があちこちで見つかっているほか、葛城氏の権力の大きさを物語る巨大な前方後円墳、南北5kmに渡って800基の古墳が築かれた巨勢山丘陵など、市内に点在する遺跡から、葛城氏や、そこにまつわる古代の人々の気配を感じることができます。
(写真提供:御所市文化財課)
役行者と葛城修験
古来の山岳信仰をもとに生まれた日本独自の宗教「修験道」の開祖といわれる役行者(えんのぎょうじゃ)は、7世紀、吉祥草寺がある現在の御所市茅原で誕生しました。そして現在の金剛山や大和葛城山を中心とする葛城山脈で山岳修行を積んだ後、吉野金峯山や大峰山を開山していきます。御所はすなわち、「葛城修験」の始まりの地。まちには役行者ゆかりの場所や経塚をはじめとする数多くの文化財が点在し、その軌跡を今に伝えています。
鴨三社が鎮座する加茂信仰発祥の地
御所には、全国に400以上ある加茂(鴨・賀茂)社の元宮・高鴨神社(上鴨社)、お年玉(御歳魂)が始まったとされる葛木御歳神社(中鴨社)、大神神社の別院と称される鴨都波神社(下鴨社)という、通称「鴨三社」が鎮座しています。これらを祀ったのが古代豪族の「鴨氏」です。彼らは、弥生時代に金剛山麓に住み着いた後、氏の表記を変えながら全国に分布していき、各地で鴨族の神を祀ったと言われています。
陣屋町の趣を残す御所まち
旧御所町にあたる、今では「御所まち」と呼ばれるエリアは、江戸時代初期には地域行政を担う代官所などが置かれた陣屋町でした。南北に流れる葛城川を挟んで、西側は商いの町、東側は圓照寺を中心とする寺内町として発展。今もまちのいたるところで、伝統的な町家を見ることができ、環濠や水路、町割りも1742年に行われた検地絵図とほとんど変わらない姿で残されています。毎年11月には、住民がそれぞれに出店や企画をする「霜月祭」を、まちをあげて開催。当日は多くの人で賑わいます。
今に守り伝えられる伝統行事
鴨都波神社をはじめ御所各地の神社で行われる「ススキ提灯献灯行事」や大松明を燃やしその年の豊凶を占う「茅原のトンド」、六斎講の講員によって折々に唱えられてきた「六斎念仏」、藁でつくった大蛇に味噌汁をかけ豊作を祈る「蛇綱曳き・汁かけ祭り」など、古くからそれぞれの地域性を育んできた行事・神事が、今も地域の人々によって守り伝えられています。
御所から全国に広まった「大和売薬」
古来より、奈良県中南和地域は「大和物」と呼ばれる良質な薬草の産地でした。飛鳥時代、大陸から医術や仏教が伝わって以来、朝廷や寺院を通じて育まれてきた薬が徐々に家伝薬として一般に受け継がれ、江戸時代以降には「大和売薬」と呼ばれる一大産業に発展。その流れの中で、御所にも「三光丸」をはじめ数多くの製薬業者が誕生し、人々の生活を支える存在となっていきました。
人権確立の潮流を生んだ水平社運動
部落差別撤廃、自由と平等、人権確立を目指す水平社運動は、御所・柏原で生まれ育った青年たちの行動から始まりました。「人間を尊敬する事によって自ら解放せん」と叫び、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と発信された1922年の水平社宣言は被差別当事者が発した世界初の人権宣言といわれ、その後の闘いと思想は、世界的な人権確立の大きなうねりにつながっていきました。